更新:2007.04.01
西暦(元号)年 | 事項 |
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1869(明治 2)年 | この年:写し絵遊びが流行。 |
1875(明治 8)年 | 東京で西洋人が写し絵(幻灯)の会を開き日本人に公開、大盛況。 |
1889(明治 22)年 | この頃:写し絵(紙芝居の原形)に変わって、1人の人間が、張り合わせた紙人形を操作する「立ち絵」が登場。人気を博す。 |
1897(明治 30)年 | この頃:映画が出現し、写し絵衰退の端緒となる。 |
1904(明治 37)年 | この頃:失業した寄席芸人や絵師による、「立ち絵」という紙人形芝居が流行。後の昭和5年頃、現在の紙芝居の形式に移行。 |
1930(昭和 5)年 | 現在の紙芝居形式である「平絵」が考案され、街頭紙芝居の代表作『黄金バット』(鈴木一郎作 永松武雄画)が誕生。 |
1932(昭和 7)年 | この頃より、保育園や幼稚園で紙芝居が行われるようになり、全国に広まる。 |
1933(昭和 8)年 | 今井よねが中心となり、カラー版の『Xマス物語』(今井よね編集、板倉康夫画)を刊行する。「福音紙芝居」「宗教紙芝居」とよばれるものの始まりとなる。 |
1934(昭和 9)年 | 東大セツルメントの校外教育に紙芝居をとりいれた松永健哉が、謄写版印刷紙芝居『人生案内』をつくる。 |
1935(昭和 10)年 | 紙芝居が全盛となる、紙芝居屋は東京だけで約2,300人、毎日約100万人の子どもたちが見ていた。 |
1935(昭和 10)年 | 高橋五山が、幼稚園紙芝居シリーズ第1期10巻の刊行を開始。今日、幼稚園や保育所で利用されている「保育紙芝居」が成立。 |
1938(昭和 13)年 | 松永健哉らが「日本教育紙芝居」を設立、機関誌『教育紙芝居』を発行(後に『紙芝居』に改題)。もともとは教育紙芝居運動推進のためだったが、戦時下では「国策紙芝居」を多数刊行した。 |
1940-42 (昭和 15-17)年 | この頃より、国策紙芝居作品が次々発刊。またスパイ防止を呼びかける作品なども登場。 一方で文芸紙芝居も多数刊行された。 |
1946(昭和 21)年 | 東京で街頭紙芝居が復活。商品は小麦粉のカスを固めて魚油で揚げた煎餅やイモあめなどであった。それまで対立していた街頭紙芝居系と教育紙芝居系が協力して「日本紙芝居協会」を設立する。 |
1948(昭和 23)年 | 子どもたちの間で紙芝居が人気を博す。佐木秋夫、堀尾青史、稲庭桂子、高橋五山、加太こうじ等が「民主紙芝居人集団」を結成。保育界では、『保育要領』(文部省, 1948)が制定され、紙芝居が保育教材として制度上に位置づけられる。 |
1953(昭和 28)年 | この頃:全国の紙芝居業者は5万人で戦後の全盛期。この後、テレビにおされていく。NHKがテレビ本放送開始。 |
1955(昭和 30)年 | テレビの普及台数が全国で10万台に達する。紙芝居はしだいに町から姿を消す。 |
1960(昭和 35)年 | この頃より、図書館で紙芝居の貸し出しが始まる。 |
1962(昭和 37)年 | 高橋五山の業績をたたえて「高橋五山賞」が制定される。現在の、紙芝居分野唯一の権威ある賞となる。 |
1967(昭和 42)年 | 文部省「第1次教材整備10ヵ年計画」を制定。しだいに学校で紙芝居が利用されなくなる。 |
1969(昭和 44)年 | 「子どもの文化研究所」(所長・城戸幡太郎)が設立される。この頃より、紙芝居のターゲットは幼児に向けられ、保育紙芝居の出版数が飛躍的に増加。 |
1980(昭和 55)年 | この頃より、手づくり紙芝居が盛んになる。 神奈川県で「第1回手づくり紙芝居コンクール」が開催される。 |
1986(昭和 61)年 | 子どもの文化研究所主催の「全国紙芝居まつり」が開始される。 |
1989(平成 元)年 | 「箕面手づくり紙芝居コンクール」が開始される。 |
1991(平成 3)年 | まついのりこ等が、ベトナムやラオスで紙芝居を紹介する。 |
1993(平成 5)年 | やべみつのり等が中心となって、ラオスでの紙芝居交流を始める。紙芝居唯一の専門雑誌『絵芝居』の刊行が開始される。 |
2000(平成 12)年 | 読み聞かせ団体、子育てサークル、老人ケアの現場などに紙芝居の活用が広がる。ベトナムやラオス、韓国、フランスなど海外各地での紙芝居交流がたびたびマスメディアに取り上げられるようになる。 |